電車通勤はいいね。
いつも同じ時間、同じドアーから乗ると、いつもの人が見える。
どこで乗ったのか、どこで降りるのかは関心がないの解らない。
座りたいと思うとどこで降りるのかが関心事だが、乗車時間がそれほど無いと、むしろ降りるときの簡単さを考えてしまう。
いつもの人がいないと、今日はどうしたのかな?。風邪でもひいたのか?、休んで遊びにでも行ったのか?、などとちらっと思うが、それまでだ。
若い人が、まだ知らないが、素敵な人をいつもの時間に、いつのも場所で合うと・・・なんて考えると夢があるけどかの「あやや」はそんな事があるのかな?。
今の私は、タダの習慣で通勤しているのでそのようなロマンがない。
しかし電車通勤は本が読めるし、ラジオが聴ける(もっとも多摩線は良いとして京王はノイズが多くてダメだ)。準備さえすればi pad や i tunも聞ける。しかしこのようなマシンは生憎持っていない。
一昔前のMDでは、重いし、そろそろ有っても良いかな〜なんて時々思うけど、それ以上具体的な行動がないのは、加齢のせいか・・。
吾妻は年明け再OPEN・・・。
なかなか雰囲気があって料理も旨かったし、働いている人の中に若くて美人がいたのに残念!?と思っていたけど、再OPENすると言うことは良いことだ。
しかし、今度は若い、美人の人がいない・・・だろうな〜。
i padも良いけど“アップルのiMac G5欲しい!”な・・。